bisoamika55

ダンス・歌・エニアグラム・アートセラピー・ヌーソロジー・数秘術etc 自己探求の旅の記録

アートセラピーから観る~日本人の身体性~

 

身体共鳴

集団でフローに入ると言うこと

 

 

原キョウコ さんのダンスセラピーは

とても日本的というか

じっくり深くて、良かったです。

 


ダンスセラピーは、これで4度目でしたが

今迄の3つは身体が無くなる感じでしたが

今回はしっかりと繊細な身体感覚がありました。

訪れている階層が違うのかな。

 


 

この世とあの世の階層を

身体が繋いでいるような感じです。

 

 

 


もっとわたしの中に存在する何かが『暴れる』

だろうと思っていたので(笑)これは意外でした。

 

 

ワークの流れなどの簡単な説明から入り

ストレッチというよりも脱力のやり方を

丁寧に指導された後、様々な身体感覚に入っていく。

これは野口整体にも似ていました。

 

 

 

暴れたい人はいますか?

というような質問に何人かが反応して

少し発散の時間を取ってから

静かに身体感覚の内部に入っていきました。

 

 

 

沢山のワークの中で

わたしが印象的だったのは、

水になるワークと、木になるワーク、

舞踏の基礎である歩行を取り入れたワークでした。

 


水になるワークでわたしは

湖に浸った感覚を足先で楽しみ

全身を水で満たしていきました。

 

 

軟酥の法と似た感じで

全身の細胞を水に満たしていくと

自分が透明になって行き

とてもとても気持ち良かった。

 

 

充分に身体を水で満たした後、

奥の暗い穴に向かって泳いでいくと

そこには虹とイルカが待っていました。

 

 

 

そのあとは

全員で木になりました。

その立っている時の感覚の広がりが

本当に忘れがたい。

 

 

 

ずっとこのまま居れる

いつまでも

ずっとこのまま立っていたい。

 

 

 

集団でフローに入るのに

身体性が無くなる経験は何度もあったのだけど

こんなにもしっかりと身体が在る感覚での一体感は、

初めてかもしれません。

 

 

 

舞踏の歩行を取り入れたワークでは

上体を動かさずに歩くだけでなく

様々なイメージングを使って

意識をあちこちに動かし、

細かい感覚を立ち上がらせていく。

 

 

 

筋肉をコントロールするのではなく、

イメージから、【 身体がそのようになっていく】感じ。

(↑なんとも説明し難いね 、、、笑)

当たり前だけど、ベリーダンスにも通じています。

 

 

 

それと、

気持ちよくもあったのですが、

薄氷の上をイメージして歩く足の右内側が

バランスを崩しやすく不安定で

筋力が落ちているのを強く感じました。

 

 

 

結構歩いたので、

夜には下半身の心地よい筋肉痛が。

(笑)

 

 

 

無我夢中になってトランスに入ることも

気持ち良いけれど、こんな風に

【 意識自体が静かに大きく満ちて、

同時にいろんなことに気づく】ことも

とても静かで、心地よい。

 

 

最後には歩みを止めて

自分に何かのメッセージをくれる存在との

コネクション。

 

 

 

わたしのイメージは

暗闇(宇宙?)に浮かぶ一直線の光の筋があって

それがこちらにめがけてすごいスピードでやって来る。

 

 

 

身体の中に入ったかと思うと、それは

蛍の様に小さくなり、光の糸となって

まとわりつく様に身体中を包みこんでいきました。

 

 

 


光の繭のような感じ?

 

 

とても暖かく、嬉しくて、

湧き上がる涙が止まりませんでした。

 

 

その後は他の方達と交わってのダンス

わたしの身体=光の繭は満ちて溢れてどうしようもなく

自然と与えたくなるばかりでしたが

与え方をわすれて戸惑う感じ ? もしました。

もっとそのままで居ればよかったのかもー。

 

 

ただ居るだけ。

 

これはエニアグラムを学んでから

最近のテーマでもあります。

 

 

 

歩行のワークは

小笠原流礼法の教室で体験したすり足や

能の足運びに似ているなー。と感じましたが

そういう修行で、ただ【 動きを真似するだけ 】だと

キツイが先に来てしまって、

意識の感覚がわかりにくくなるのは勿体無い!

 


と、思いました。

 

 

 


初めてでも身体が脱力を知れば

もっと自然な動きを身体自身が教えてくれる。

意識や身体性を熟知しているダンスセラピーって

本当にいろんな事に応用が可能だと思います。

 

 

 

野口整体の活元運動や愉気に似た動きもありましたが

これももともと日本には古くからあったもので。

名前をつけた途端に、わたし達はそれを断定して

狭い範囲で観てしまうけれど、大切なのは頭で考える事ではなく

身体で体験(体感)する事なのだと思います。

 

 

頭で整理するのは、それからだ!

 

 

アワ・サヌキで言えば、

日本という土地はそもそも

アワ(感受性・内向的)なエネルギーであり

その感受性を身体文化が育ててもいます。

 

 

 

正しく感受する型=意識状態を

繰り返し身体へ教えると思考もクリアになる。

その頭で考えて初めて、妄想ではない考えが出来る。

 

 

でも、

出来ないのが悪い

出来るのが良いという

風潮の強い現在では

 

 

型のための型、正解としてのカタチ

になってしまっているのかも。

教える側もその身体性の意味や意識状態を

理解していなかったりする場合も多々あるのだろう

と思うと、とても勿体無いです。

  

  

 

1つを極めて熟知出来る人はいても少数で

全ての人がそこに気づける訳でもない。

相手が何を言わんとしているのであろう?

という感受性があれば、時間を経て気付く事が出来るけど

その感受性が育ってなければ、

その体験に触れても気づけない。

 

 

畑違いの事をやるというのは

同じものが違う角度から見える。

そういう発見があったりするのです。

 

 

舞踏とは意識や身体性を熟知しているのだと

(だから惹かれたのかな?)思うし

身体とは、意識の階層への感覚の扉でもある。

 

 

 

海外で日本の暗黒舞踏が評価されるのも

死生観や身体感覚などの東洋的シャーマニズム

新鮮=衝撃的に映るからなのかもしれません。

そしてそれらは、日本だけではなく、

世界の各地にあった古代の精霊信仰と同じものだとも感じます。

 

 

当たり前にあって古いと感じるものを

わたしたちは見過ごしてしまいがちだけれど

そういうものの中に、古代からの叡智のかけらが

たくさん眠っているのだと再確認しました。

 

 

 


わたしの世代はとても中途半端で

上の世代の言っている事がわかって来ても

下の世代へそれを伝えて行く事は、

とても難しいと感じます。

  

 


Googleで調べるように

言葉で理解しようとすると、

本質がこぼれ落ちていく気がしますが

これも身体感覚が糸口となるのかも。

 

 

【 身体がこうなると、こういう意識状態になる】

というのは少しは理解していたつもりでしたが、

日本的アートセラピーを体験してみて

日本の文化に残されている身体感覚に改めて深く、

驚かされました。

 


近所に能の仕舞や謡を教えてくれるところがあって

気になっていたので、そこもちょっとしたシンクロでした。