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ダンス・歌・エニアグラム・アートセラピー・ヌーソロジー・数秘術etc 自己探求の旅の記録

〜関係療法〜【 自我/無意識 】と 【2つの母性/2つの父性】

※2019年の記事です(更新2023年)

 

絶対矛盾的自己同一
【清濁併せ吞む】って難しい、、、。

 


自分の中の葛藤は

アニマンダラ的なΨ9男性性・Ψ10女性性にあって、

相似象のアワとサヌキをきっかけとして

この辺りには長くテーマを置いているのですが

 

animandala.com

 

 

ヌーソロジーでは

Ψ9とΨ10は

地球においては対立すると言われています。

 

noos-academeia.com

 

 

 

父と母の罵り合いを観て育った背景があるせいか

男性性と女性性の葛藤があるのを

【観ている自分】は幼少期から長く居て

対立を無くそうと働きかけ躍起になってきたのは

エニアグラムのタイプ9そのまんまだとも思います。

https://seikaku-type.com/type9/peacemaker-basichttps://seikaku-type.com/type9/peacemaker-basic

 

記事の更新の2023年現在ではイデアサイコロジーによってタイプ4だと判明していますideapsychology.net

 

 

葛藤するような状況に対しての怒り

平穏な世界を壊される怒り

自分の腹の底の想いに耳を傾けずに

周りに働きかけても、エネルギーが枯れるだけで

幼い胸はどんどん痛んで行ったのでしょう。

 

 

エニアグラム成長と退行の方向 

※ひよこくんとフクロウくんの9つの性格講座より画像をお借りしました


葛藤に疲れると、わたしはストレスから

退行の6に向かって批判的になる時が多々あります。

それでも最近はタイプを越えようとしているのか???

新しいやり方でここに橋を掛けようとしています。

 

 

 

①相反する性質がそこに共にあることを受け入れる

②葛藤も認め、味わう

③葛藤して観ている自己の気持ちに耳を傾ける→ ここまでだと自己完結。モヤモヤは続く、、、

④それを相反する性質に伝えてみる→ 今この試み!

 

 

能動的に働きかけをするだけで

期待はせずにどんな結果でも受け入れる。

 

 

この【能動的な働きかけ】までが【意識の出来る仕事】なのかな?

観察して待ち結果から学び、再びトライ&エラーを繰りしていく

 

 


これは学び始めた関係療法が

良いきっかけになっていて

誠実に、期待せず、淡々と。

そこに産まれてくるものを受け入れる。

これはセラピストとしての在り方にも通じると思います。

(簡単ではないけれど)

 



自分の世界感で他者に影響を与えることに対して

喜びを見出してしまうだけに留まれば

他者を蜘蛛の糸に巻き込むだけの【一者の創造】となっていくのかも。

我=それ の世界

 

 

 

関係療法の解離のケースの中で

関連性を持っていない人格や

分断されている思い、考え同士を意識に上げて

干渉させ繋がりを作る糸口を

セラピストと共に作っていった人の夢のなかに

窓が現れたそうです。

 

セラピストによれば

繋がり、開口部が現れたそうで

交渉の余地が生まれたという事で

実際に解離症状が薄まった模様。

 

 

 

 

実際には解離していた自己を認め

意識に上げて行くプロセスで

新たな葛藤を(苦しみを感じる心)作っていく

苦しくもある課程なのだけれど

 

 

 

このお話を聴いているうちに

 

 

 

葛藤自体にも応用できるのではないかな?と

思いついた。

 

 

 

最近のわたしの葛藤は

 


知性としてのアーユルヴェーダ

バラモン的・正しさ・厳格・理性的・頭が喜ぶ・ウハネ的・自我・審神者

 

慈愛としてのアーユルヴェーダ

仏教徒的・誰でもどこでも・身体的・ハートで感じる・ウニヒピリ的・無意識・巫女的

 

 

 

この両方に反応する自分が居て

それが対立しているのを感じました。

モヤモヤが大きくなって行ったので

ウニヒピリがどう感じているか

解釈してみると

 


そんなに強く主張しないで欲しい

違うように感じている自分や他者が

ダメなのだと思ってしまうから

違う考えがある事も認めて欲しい

 

 

 

 


ウハネの言い分はこうでした。

 


強く主張して見えるのは

自分に言い聞かせているだけ

自分は間違っていない

認めて欲しい

正しさという拠り所が欲しい

解って欲しいという思い

 

 

 

 


ウハネ=自我は傷ついて

自分を守っているのかな?と思うと、

つい彼を擁護も理解したくもなる。

 

 

 

 


だけど、、、

 


守り、擁護するだけの母性(グットマザー)でも

抱え込み・支配するだの母性(テリブルマザー)でも

ウハネ=自我は成長しない。

 


彼の想いをを理解しつつ(テリブルファザー)

本当はどうしたい?では、どうする?と

問いかけ、諭す父性の(グットファザー)が必要だと思う。

 

 

 

ここでも四値ですね

 


善の中の悪

悪の中の善

女性性の中の男性性

男性性の中の女性性

 


全ての働きには意味がある。

 


禅で

絶対矛盾的自己同一と言うのだそうですが

自己とは沢山のトーテムの寄り集まりだと思うと

矛盾していて当然だとも言えます。

 

 

 

それでもそこを整理していきたい。

 

 

 

ウハネとウニヒピリが

上下ではなく対等な対話をして

グットファザー・グットマザーが

開口部として両者を繋ぎ、干渉させていく

 

 

 

自分育ては子育てと同じだな。

と思います。

 


そして

自己を見せてくれる鏡=他者の存在があってこそ。

関係性の中でしか育まれないものだと

じわじわ感じています。