bisoamika55

ダンス・歌・エニアグラム・アートセラピー・ヌーソロジー・数秘術etc 自己探求の旅の記録

声を自由に 〜ヨガ・オブ・ボイス〜

 

ヨガ・オブ・ボイス in 東京

 

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13日のワークと14日の理論講座

2日連続で参加して来ました。

 

贅沢な時間でした!

 

 

前日の夜にガツンとひどい風邪をひいてしまい

あまりの酷さにインフルエンザかも?と思って

参加を見送ろうかとも思いましたが、

 

以前もワークショップ前に酷い体調不良になった事があって

ワークが終わるとさっぱり流れていく(治っている)ので

気楽に構えていたら

 

やっぱり、、。

ワークショップ前には治っていました!

一瞬のエネルギーの通過です。笑

 

 

きっと何かを抵抗する力が外れたり

変化を察知していたり。

先に受け取っている情報も沢山あるのでしょう。

見えない世界のネットワークはすごいです。

 

 

 

 

わたしがこのワークに初めて参加したのは

いつだっかな?

もう5年前くらいは前になるのかな?

神戸のアーツコミュニケーションラボの事務局でした。

 

 

体験したことのない世界観に

はじめはキョトン!

としてしまった事を覚えているけど

 

 


歌っているうちに、涙が止まらなくなった事を

覚えています。

 

魂の叫びのような涙に少し戸惑いましたが

無理して生きていた事に

気付かせてもらえた出来事でした。

 

 


アートセラピーの表現でも感じる事ですが

元気で明るい自分の裏にいる繊細な自分の存在を

体感としてしっかり自覚する事が出来たのは

このヨガ・オブ・ボイスでした。

 

 


 心の静けさと共にいる時間を

意識的に作るようになったのも

この頃からかなぁと思います。

 

 


この日のワークでは

 


声が出にくい

息が通りにくい感じがありました。

 


ワーク中にだんだんと声が出る様になり

スカッとスッキリまでは行かなかったけど

それはそれ。

 


 

今のわたしは、そういう状態なんだな。

と、ただ思えるようになりました。

 

 

 

 


野口整体の個人指導を受けていたころ

金井先生も同じ事を仰っていらっしゃったけれど

その頃のわたしにはそれが出来ませんでした。

 


常に最高の体験をベースにして

見てしまう癖があって

同じ効果や結果にこだわっていました。

治そうとか、コントロールしようとか戦おうとする力が

働いてしまっていたのでしょう。

 

 

 

身体は毎日違うし

いろんな条件に影響も受けるので

常に最高の状態なんて、有り得ないのです。

 


わたしを指導してくれた方は

状態が良い時の方が慢心するし

状態の悪い時のほうがむしろ良い仕事が出来る。

とも言っていましたが

本当にそうだな。と最近はじわじわ思えます。

 

 

 

 


必要なのは

置いてきぼりにしないこと。

気にかけて、その状態をただ受けとめること

なのかなと今では思います。

 

 


一通りワークを終えて

最後に教わったのはチャクラマントラ

 

 

 

このチャクラに対応する音は

本当に身体の対応部位が振動します。

【 途中怠くなって来ることがあるけれど、20分は続けるように】と

アナウンスがありましたが

わたしはまんまと全身怠くなりました、、、。

(何事も経験です~)

 

 

集中し過ぎる、やり過ぎる癖に

早く気付けるようになってはいても

やはり結構、疲れていたんだろうと思います。

 

 

あぁ、また置いてきぼりにしていたんだ。
ごめんね~。

と、思いました。

 

 


丁寧に自分の状態をチェックする時間って

普段はなかなか気付けない事に気付けて

本当に贅沢な時間です。

 

 

1人でも出来る事は有りますが

他の人と音を重ねていく中で体験する世界は

参加者の方が自分の感じ方を取り戻していくプロセスを

共に通過していく事でもあって

 


ワーク中に現れてくる倍音

多様性の美しさの表れの一つだと感じます。

 

 

現実って一体どちらなのかしら?

と思ってしまう。

 


 

定期的に参加すると

日常での自己の変化も感じやすくなると思います。

 

 

 

 

そして、翌朝の理論編では

みんなでシルビアの教本を読み

その後にすみれさん独自の補足説明が入りました。

 

 

 

 

これがまた、、、

面白いのです!!!

 

 

 

 

器=子宮の中の

男根=リンガ

から創造が始まる

神殿🏛

 

 

 

 

岸のどちら側にも属せない

その間を流れる川=河原者とは

 

 

のもの。

 

 

むーーーーーーーぅ。

自分の中のイメージが

膨らんでいって

声にならない感嘆が!

 

 

 

そして音読。

1人で本を読むときよりもずっと身体に入ってきて

頭で読むのとは大違いでした。

 

 


音読とは

【全身で読み、全身で聴くこと】

なのだと感じました。

 

 

 

始めましての方が多かったのですが

講義の終盤に差し掛かると参加者の皆さんも

すっかりリラックスしてきて


音や日本語、母音の話になっていきました。

そこから

日本人とは?

日本古来の音とは?

 

などなど

濃い会話が続々と繰り出され

 


わたしも

カタカムナの音の話や

野口整体でやっていた音読の読み方など

今になって感じること、わかることを

皆さんにシェアしました。

 

 


止まらない熱気の中

予定を1時間オーバーした講義に

後ろ髪を惹かれつつその場を後にしましたが

 

 


なんだか研究会が発足しそうな勢いだったので

今後が楽しみです。

 

 

 

 

そして
今回の理論はワークが一切無かったのに

全身の細胞が喜んで

胸はぐるぐると動き、身体が熱かった。

 


わたしと一緒にトーテム達が喜んでいたのでしょう❤️

 

 

理論講座でのシルビアの本の中にもありましたが、

 

ボイスヨガで出てくる声は

一体どこから出てくるのか?


という点についても

 

トーテム達の声だと

感じています。

 

彼らと共に過ごす時間を

これからも楽しみたいと思います♬

 

 

講義の参加者には

小学校の先生や

クリスタルボウルの奏者の方

シンギングボウルの奏者の方も参加されていました。

 


膨よかで深淵なる音の世界の探求。

歌うことが好きな方はもちろん

音や声をお仕事にされている方にもとてもおススメです。

 

声の持つチカラ

 

この方の歌が聴いてみたいと

思う人が、2人います。

 

 

お一人はゴスペルのイベントで知り合ったF子さん

一緒に歌っていても気持ちが良かったし

大きなホールで歌って居てもすぐに場所がわかるくらい

放つものがある方です。

 

 

もうお一人は、

ハーブのWS🌿でご一緒した方で、

声楽家の小柄なN子さん

 

 

どちらも共通して惹かれたのは声です。

 

 

先日はN子さんの舞台を観に初台へ。

面白いだけでなく心に深く届くストーリーは

演者の皆さんが実力派揃いでとても見応えがありました。

 


思いがけず、ここ数ヶ月のわたしとシンクロしていて

2度も涙してしまいましたが

惹かれる声を辿ると、こんなシンクロも起こるのかな?

とも思ったり。

 

 

彼女の声は

あの小さな身体の何処から出るんだろう?

もっと彼女の歌が聴いてみたい!

と感じました。

 

 


こんな風に、聴きたいと思う声には

それを感知している人にとって

必要な周波数なのだと思います。

 

 

 

 

歌うことや声についての興味が

わたしに芽生えたきっかけは


神戸に住んでいた頃に学んでいた

アートセラピーの講師である森すみれさんが

定期的に開催していたボイスヨガでした。

 

 

具体的な内容は

ぜひ体験していただくとして

 

 

 

初めて参加した後

世界が語りかけてくるかのように

綺麗に見えたのを覚えています。

野口整体の活元運動の後に似ていました。

 

 

 

森すみれさんのヨガ・オブ・ボイスの師匠であり、

世界中のシャーマンを訪ねてヨガ・オブ・ボイスを体系化したのが

シルビアナカッチさん

 


声を出す事で

自己を自由にする。

 


道具は要らないんです。

身体ひとつで出来るって

すごいこと。

 

 

体感しないとなかなか良さが伝わらないけれど

ボイストレーニングでコントロールしなくても

自分にとって必要な声が、誰にも教わらずに自然と出てくるのですよ。

身体の知恵ってすごい!

 

 

こういうところも野口整体の活元運動に似ています。

 

 

他者と声を重ねているうちに

自然と調和して来て

素晴らしい倍音になる時は

本当に気持ちが良いのです。

 

 

声によって内向したエネルギーがリリースされ

身体の痛みが治ったりもするのです。

これを経験した時は本当にアハ体験でした。

なるほど!そう来たか!!!

と言った感じ。笑

 

 

要らないものがそぎ落ちて

ありのままの自分に帰るような感覚でもあり

薬にもなる声の力。

 

 

 

日常でも無意識のレベルで沢山

わたしたちに働きかけているのでしょう。

 

 

皆さんも日常の中で

声の持つ力に意識を向けてみてください。

 

この声を聴いていて・出していて

わたし自身は一体どう感じているのかな?

 

と、問いかけるだけでも面白いと思います。

 

 

 

ヨガ・オブ・ボイス☟

https://www.yogaofvoice.info

 

アーツコミュニケーションラボ☟

http://a-c-lab.or.jp/

 

表現工房 洗濯船 Olympic the musical

ハーブのWSで知り合った声楽家の吉泉奈々子さん。

彼女の出演された Olympic the musicalを観てきました!

 

会場はオペラシティ3階にある近江楽堂

ドーム型の造りで教会にいるような可愛らしい空間。

 

オリンピックをテーマにしたこの物語は

ゼウスにイエスキリスト、菩薩とアマテラスの

4人の神々の会議から始まって

古代オリンピアの時代と現代を

タイムスリップするような構成でしたが

 

実力派の演者の皆さんの魅力が存分に発揮されていて

あっという間に物語に引き込まれ

わたしは2度も感涙してしまいました。

 

 

現代の過疎の町の【町おこし】に関わる人達が

テーマを決めていく中で

オリンピックのルーツを掘り下げていくのですが、

彼らのイメージが古代の人々の意識とリンクして

インスピレーションという形で繋がり

イデアが纏まっていきます。

 

 

どんなに小さく見えるような事でも

この物語のように

日常的に奇跡はおきていて

世界という織物は何処かで繋がっているのだ

そんな風に思いました。

 

 

わたしたちの意識は

縦横無尽に何処へでも行けますが

そこから

何を受け取って

何を大切にし

今という場所でどう働きかけるのか

もっと意識的にしていこう。

 

 

 

奈々子さんは

菩薩役、古代使者役、町おこしの言葉フェチ役の1人3役。

現代の言葉フェチ役の歌の場面では声楽家の一面を垣間見て

小さな身体でどうしたらこんな声が出るのだろう?!!

と興味津々に聴きましたが、、、。


なんと、初ミュージカルだったそうで、驚きでした。

ちっちゃいのにすごい表現力と存在感です。

 

 

舞台音楽担当されていた女性の

Siriの声と効果音のクオリティーには

あちこちからクスクスと笑い声が。

現代っぽさをグッと強めていた場面でした。

 

 


心に深く届くメッセージとは裏腹な軽快な面白さを

テンポよく90分という時間で構成されていて

脚本はどなたが書かれているのかな?と調べてみると

エスキリスト・宅急便の家寿さん役をされていた

武田桂さんという方でした。

 

今後の洗濯船の舞台も楽しみです。

 

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自己紹介

ブログにお越しくださりありがとうございます。

管理人の 環〜meguru と申します。

 

アロマを中心とした自然療法に従事していた頃

施術中に突然身体が動かなくなりました。

人生をかけていた大切な仕事を強制終了された経験から

わたしの自己探求が始まりました。

 

 

自分を知る為の学びとして

野口整体・クラニオセイクラ

ピアカウンセリング

ヒプノセラピーアートセラピー

 

などを経て、現在は

 

リスカルディア数秘術エニアグラムから

自己や他者の活かし方

ヌーソロジーやアニマンダラから

意識や生物進化について

ダンスや歌を通して感じる身体感受性など

心と身体について探求しています。

 

趣味はBollywoodダンスとカタックダンス・歌うこと

 

bisoamikaとはカミアソビを逆から読んだものです。

本当のわたしと出逢い

自分自神に還る旅にご興味がありましたら

どうぞお付き合い下さいませ✨

 

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アートセラピーから観る~日本人の身体性~

 

身体共鳴

集団でフローに入ると言うこと

 

 

原キョウコ さんのダンスセラピーは

とても日本的というか

じっくり深くて、良かったです。

 


ダンスセラピーは、これで4度目でしたが

今迄の3つは身体が無くなる感じでしたが

今回はしっかりと繊細な身体感覚がありました。

訪れている階層が違うのかな。

 


 

この世とあの世の階層を

身体が繋いでいるような感じです。

 

 

 


もっとわたしの中に存在する何かが『暴れる』

だろうと思っていたので(笑)これは意外でした。

 

 

ワークの流れなどの簡単な説明から入り

ストレッチというよりも脱力のやり方を

丁寧に指導された後、様々な身体感覚に入っていく。

これは野口整体にも似ていました。

 

 

 

暴れたい人はいますか?

というような質問に何人かが反応して

少し発散の時間を取ってから

静かに身体感覚の内部に入っていきました。

 

 

 

沢山のワークの中で

わたしが印象的だったのは、

水になるワークと、木になるワーク、

舞踏の基礎である歩行を取り入れたワークでした。

 


水になるワークでわたしは

湖に浸った感覚を足先で楽しみ

全身を水で満たしていきました。

 

 

軟酥の法と似た感じで

全身の細胞を水に満たしていくと

自分が透明になって行き

とてもとても気持ち良かった。

 

 

充分に身体を水で満たした後、

奥の暗い穴に向かって泳いでいくと

そこには虹とイルカが待っていました。

 

 

 

そのあとは

全員で木になりました。

その立っている時の感覚の広がりが

本当に忘れがたい。

 

 

 

ずっとこのまま居れる

いつまでも

ずっとこのまま立っていたい。

 

 

 

集団でフローに入るのに

身体性が無くなる経験は何度もあったのだけど

こんなにもしっかりと身体が在る感覚での一体感は、

初めてかもしれません。

 

 

 

舞踏の歩行を取り入れたワークでは

上体を動かさずに歩くだけでなく

様々なイメージングを使って

意識をあちこちに動かし、

細かい感覚を立ち上がらせていく。

 

 

 

筋肉をコントロールするのではなく、

イメージから、【 身体がそのようになっていく】感じ。

(↑なんとも説明し難いね 、、、笑)

当たり前だけど、ベリーダンスにも通じています。

 

 

 

それと、

気持ちよくもあったのですが、

薄氷の上をイメージして歩く足の右内側が

バランスを崩しやすく不安定で

筋力が落ちているのを強く感じました。

 

 

 

結構歩いたので、

夜には下半身の心地よい筋肉痛が。

(笑)

 

 

 

無我夢中になってトランスに入ることも

気持ち良いけれど、こんな風に

【 意識自体が静かに大きく満ちて、

同時にいろんなことに気づく】ことも

とても静かで、心地よい。

 

 

最後には歩みを止めて

自分に何かのメッセージをくれる存在との

コネクション。

 

 

 

わたしのイメージは

暗闇(宇宙?)に浮かぶ一直線の光の筋があって

それがこちらにめがけてすごいスピードでやって来る。

 

 

 

身体の中に入ったかと思うと、それは

蛍の様に小さくなり、光の糸となって

まとわりつく様に身体中を包みこんでいきました。

 

 

 


光の繭のような感じ?

 

 

とても暖かく、嬉しくて、

湧き上がる涙が止まりませんでした。

 

 

その後は他の方達と交わってのダンス

わたしの身体=光の繭は満ちて溢れてどうしようもなく

自然と与えたくなるばかりでしたが

与え方をわすれて戸惑う感じ ? もしました。

もっとそのままで居ればよかったのかもー。

 

 

ただ居るだけ。

 

これはエニアグラムを学んでから

最近のテーマでもあります。

 

 

 

歩行のワークは

小笠原流礼法の教室で体験したすり足や

能の足運びに似ているなー。と感じましたが

そういう修行で、ただ【 動きを真似するだけ 】だと

キツイが先に来てしまって、

意識の感覚がわかりにくくなるのは勿体無い!

 


と、思いました。

 

 

 


初めてでも身体が脱力を知れば

もっと自然な動きを身体自身が教えてくれる。

意識や身体性を熟知しているダンスセラピーって

本当にいろんな事に応用が可能だと思います。

 

 

 

野口整体の活元運動や愉気に似た動きもありましたが

これももともと日本には古くからあったもので。

名前をつけた途端に、わたし達はそれを断定して

狭い範囲で観てしまうけれど、大切なのは頭で考える事ではなく

身体で体験(体感)する事なのだと思います。

 

 

頭で整理するのは、それからだ!

 

 

アワ・サヌキで言えば、

日本という土地はそもそも

アワ(感受性・内向的)なエネルギーであり

その感受性を身体文化が育ててもいます。

 

 

 

正しく感受する型=意識状態を

繰り返し身体へ教えると思考もクリアになる。

その頭で考えて初めて、妄想ではない考えが出来る。

 

 

でも、

出来ないのが悪い

出来るのが良いという

風潮の強い現在では

 

 

型のための型、正解としてのカタチ

になってしまっているのかも。

教える側もその身体性の意味や意識状態を

理解していなかったりする場合も多々あるのだろう

と思うと、とても勿体無いです。

  

  

 

1つを極めて熟知出来る人はいても少数で

全ての人がそこに気づける訳でもない。

相手が何を言わんとしているのであろう?

という感受性があれば、時間を経て気付く事が出来るけど

その感受性が育ってなければ、

その体験に触れても気づけない。

 

 

畑違いの事をやるというのは

同じものが違う角度から見える。

そういう発見があったりするのです。

 

 

舞踏とは意識や身体性を熟知しているのだと

(だから惹かれたのかな?)思うし

身体とは、意識の階層への感覚の扉でもある。

 

 

 

海外で日本の暗黒舞踏が評価されるのも

死生観や身体感覚などの東洋的シャーマニズム

新鮮=衝撃的に映るからなのかもしれません。

そしてそれらは、日本だけではなく、

世界の各地にあった古代の精霊信仰と同じものだとも感じます。

 

 

当たり前にあって古いと感じるものを

わたしたちは見過ごしてしまいがちだけれど

そういうものの中に、古代からの叡智のかけらが

たくさん眠っているのだと再確認しました。

 

 

 


わたしの世代はとても中途半端で

上の世代の言っている事がわかって来ても

下の世代へそれを伝えて行く事は、

とても難しいと感じます。

  

 


Googleで調べるように

言葉で理解しようとすると、

本質がこぼれ落ちていく気がしますが

これも身体感覚が糸口となるのかも。

 

 

【 身体がこうなると、こういう意識状態になる】

というのは少しは理解していたつもりでしたが、

日本的アートセラピーを体験してみて

日本の文化に残されている身体感覚に改めて深く、

驚かされました。

 


近所に能の仕舞や謡を教えてくれるところがあって

気になっていたので、そこもちょっとしたシンクロでした。

 

 

エニアグラムを日常に活かす

数字の話をする時に

エニアを例に出すことが増えて来ました。

アウトプットが刺激となって

エニアグラム熱も再燃しています。

 

 

 

日常的な対人関係の中でも

エニアグラムのタイプという視点から相手を見てみるとき

自分自身を見つめる事と同じくらい

相手の隠された種が気になり出してくるのです。

  

 

この種とは、親子関係や環境・社会的影響を受ける前に

持っていた本質のようなもので、エニアグラム では

この本質を覆い隠すように鎧としての自我が育っていき

よく似たものにすり替えられていくと言われています。

 

 

さらに、タイプにはレベルという概念もあって

1人の人間の性格は一定したものではないという事が

わかってくるのです。

 

 

 

例えば相手が感情的に反応している時は

自動反応によって一時的にレベルが下がっている状態なのだと思うと

それほど気にならなくなり、

相手からの感情による影響を受けにくくなりました。

相手の反応に自分も強く反応した時には

自己の中に同じものがあるかを確認するきっかけにもなります。

 

 

 

他者理解なんていうのはおこがましいけれど

相手や自己を自我で観ない練習にはなるのかな?

と考えています。

 

 

 

自分自身にも、関わる相手にも

エニアグラム以外で参考にしているのが

 

 

星乃かたちみさんのblogより

【 人間は3つのメガネをしている 】リンク先はこちら☟

http://hoshinokatachimi.blog.jp/archives/3240664.html

 

 

 

 

目の前の相手の今の状態は

 

赤色メガネ(←親子関係や社会からの影響)

黄色メガネ(←エニアグラム的影響)

 

どちらなのだろうか?という風に。

 

 

 

 

私たちはつい

言葉というものを伝わる前提で使ってしまっているけれど

かけているメガネの違いという視点から考えると

 

 

自分の立ち位置から見てる【当たり前】を主張しても

違う立ち位置から見る【当たり前】は全く違っていて

むしろ、伝わらない方が当たり前なのだと気付く事が出来ます。

  

 

自分の環世界にどっぷりハマっている事が見えてくる。

 

 

 

人は大切な事や物ほど同一化しやすく

同一化しているものへの批判には強く反応してしまいます。

そもそも、自分が何に同一化しているのかさえ

気付けていないものなのです。

だからこそ【他者がいるのだ】と

最近は思えるようになりました。

 

 

 

その都度、細かく自分を観て

自己の脱同一化・再構築をしていくより他ないわけです。

(遠い目、、、。)

 

 

 

エニアグラムではまた、

成長過程で傷ついた結果、積極的に求めるものとして

セクシャル・ソーシャル・自己保存という概念がありますが

最近はここも気になってきています。

 

 

 

物語のメモさんのblog より

【 本能のサブタイプ 】リンク先はこちら☟

http://akamo39.hatenablog.com/entry/2016/09/15/091846

 

 

これも変わっていけるのだなー。と、

最近は思うのです。

 

 

 

わたしの場合はセクシャルが優位で自己保存が盲点でしたが

結婚してから(正確にはダンスを始めてから?)

盲点がかなり改善しました。

 

 

それまでは読み物も、書き物も、調べ物も

寝食忘れて興味のあるものに熱中しやすく

人と話していて自分の身体の事を忘れるなんて日常茶飯事。

(自己保存盲点↑)

対人関係も目の前の人一点集中で目に入るのが常でした。

(セクシャル優位↑)

 

 

 

置いてきぼりな身体、、、。

笑(笑えない!)

 

 

 

まだ癖は残るものの、今は熱中し始めた頃に気付いて

中断が出来るようになって来ました。

 

 

自己保存を優先した結果、ソーシャルが最下位に落ちてきたので

意識してセクシャルを抑えて、ソーシャルを使いたい。

と、思うようにもなって来ました。

 

 

 

こんな風に

自己を顧みるツールとして

エニアグラムは多くの現代人に

理解しやすいものだと感じます。

 

 

 

特に思考タイプの方には伝わりやすいのではないかな?

と感じましたが

感覚タイプで、自己の整理整頓をしてみたくなった方にも

お勧めです。(←夫はこのタイプです。)

 

 

他にも、数字マニアな方には数秘術

感覚タイプにはアートセラピーがお勧めです。

どちらもわたし自身が自分を掘り下げる為にとても役立ちました。

今でも定期的に使っているツールです。

 

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